稚児の目や瞬きをして夏燕
今日は歯科へ、夜の投稿となった
歯科とは云っても大学病院の歯科を故あって訪ねた
雨模様だったが強くは降らなかった。
雨の午後、帰りは高校生や小学生の子供の下校と重なった
暇に任せて、子供の観察に何とはなしに目がいく。
何気なく見ていると小学生の女の子は駅に着くと何やら肩に話しかけている
肩に丸い通信機様のものがあり、多分お母さんに「駅に着いた!」と
話しているのだと理解した。最近の子は便利なものを操るようだ。
スマホと何が違うのだろうと思ったが多分まだスマホは早いのか?
まだ、小学生でも低学年のようであった。
高校生も駅毎に乗り込んできて、駅毎に違う高校があるようだ
制服もまばらで自分の若い頃を思ったりもした。
日本は衰退傾向にあるのか、しかし安定はしているのだろう
自分等の頃とは格段に裕福になったのではないのか
少なくともインフラは桁違いに整備されているだろう。
つい、老婆心が頭をもたげて若い人の行く末を思う
何時の時代にも変化は付きものだがこれからの変化は激しいのか
加速度的に目まぐるしく変化していくような気がする
ついていくのも大変かもしれない。
いつの時代も子供の頃が一番いいのかも知れない
50年後がどうなっているのかは誰にも判るまい
色々な人が電車でそれぞれの顔をして座っている
何時もは思わないような事を車窓に流れゆく景色など観ながら
思わせたのは他ならぬ子供たちだったのか。
余り電車でスマホは視ないことにしている、何だか景色が勿体ない
気がするせいでもある。今は誰しもスマホばかりに目を落としている
ひと頃に比べると結構なお年寄りもスマホを手にしている。
それにしても日本の今は良いのかよくは分からない。
今の時代、政治家が小ぶりになった気がする。
二世議員、タレント議員、何故政治家になるのかと首を傾げたくなる。
世界的にみると民主主義も資本主義も問題を大いに抱えているのか
富が集中するのも専制主義の国家が永らえるのもどうしたものだろう。
国内的には誰にも、どこにも投票できないという揺らぎがある。
日本の政治はつくづく村社会的だと実感するのは私だけ?
などと書くといま少し詩的に書けないのかと自分でも思う
要は子供たちの未来が平和で安泰であって欲しいと思うのみです。
次第に夜は深夜に向かっていますがこのはてなブログ
今日の記事は「はてな?」なんちゃって・・
ではこの辺で、きょうもブログの下が大きく空くのかな(ぶつぶつ・・)