今朝の雨紫陽花の花まだ青く
中学生の頃は国語は割りと好きだったのか
富永という教師が熱心だったせいかもしれない
小学校は遊び惚けて過ごしたが中学ともなると
そうしてばかりもいられないと気づいたらしい。
大阪から転校してきた美岡(よしおか)は兎に角、海に行きたがった
お互い運動神経は鈍かったが柔道部に籍を置き海ばかり行って
夏休みなど一日も休まず海に行った、故郷は鹿児島で海だけは奇麗だった。
或る日など枕崎沖に台風上陸と云う携帯ラジオの声に
慌てて釣竿を上げてそそくさと岩礁を後にしたこともあった。
わたしは田舎者で海など何時もそこにあるものだったが美岡にとっては
海は何ともいつも行きたいものらしく、当時はグループサウンズの全盛期で
いい時代と云えばそうだった、クラスはまだ一学年10クラスもあった。
高校は故あって別々になった。私の家が貧しくて高校に行けない事になり
何とも入学前に定時制に転校ということになった。詳しく書くと長くなるが
そうして私は大学まで8年もの間働きながら苦学した。一年先に上京した
美岡とはまた東京で一緒になって親交を深めた、良い時代でもあった。
現実は中々厳しいのか美岡は司法試験に敗れ、私は二部卒で就職では
厳しかった。しかし、学生時代の友と云うものは本当に良いものだ。
8年もどうせ苦労するなら職人にでもなるかニューヨークにでも
行けばよかったと思ったりもしたが人生は「行き当たりばったり」
なのは凡人は皆そうなのではと思う。わたしは「花木」奴は「美岡」
二人とも変わった名前だとよく言われる。「花木柳太」は俳号のつもり
(駄句ばかりなのにいっちょ前に)だが花木は本名なのです。
力尽きて枝離れたる枯れ葉かな
と高校時代に一句だけ国語教師に言われるままに詠んだが「夕映え」
という夜学の冊子の発行に詰まらぬ詩などを寄せたので教師が俳句
などは?と言うので詠んだ記憶がある。俳句はリタイアして高齢に
なって始めたものなのです。そのことを書こうとして何だか親友の
話になってしまった。
今日はすこぶるいい天気のようで朝からとてもよく晴れている
少し気温は高めになりそう25℃前後らしい
昨日は4417歩しか歩けなかった。